シロアリ化現象
植物は大切な葉を動物から食べられないため固い殻、棘などで身を守る。また体に動物に対する毒を作り食べられないよう防御した、一方、動物は植物の毒を解毒するシステムを徐々に体内に獲得する。毒が効かなくなり絶滅に瀕した植物は毒を変え動物に対抗していく。お互いがせめぎあいともに進化する共進化の道を歩んできた。すべての植物は毒をもっている。シロアリはその毒を解毒するシステムを体に持たないため生きた植物を食べることができないのである。ヒトはこのような植物の毒をある時は毒矢とし、ある時は生薬とし利用してきた。ペニシリンは毒が薬になった一例である。ペニシリンの多用で耐性菌が出現するのは共進化の当然の帰結であろう。
太古の地球では大気の95%がCO2であったそうだ。(CO2が少し増えると言って大騒ぎしているが95%に比較し如何に考えるべきだろうか?)原始の生物はCO2を貴重な食物として光合成し有機物を作り廃棄物としてO2を排出した。徐々に毒性の強いO2が地球の大気で増加していく。O2は活性酸素を作り生物を破壊していくため、初期の生物(=嫌気性菌)は死滅の危機にあった。その逆境の中から毒たる活性酸素を解毒する力を獲得した好気性菌が出現し繁栄することになる。我々の祖先である。毒であるO2が嫌気性菌を進化させ好気性菌に変えたと言える。
有酸素運動の効用は先祖が獲得した活性酸素解毒システムを再強化することであり、O2は元来有害であった事実、純O2の危険性を忘れてはならない。微量放射線のラジウム温泉、ラドン温泉は放射線により生じるわずかな活性酸素がヒトの解毒システムを同じく再活性すると説明できるかもしれない。(放射線の毒性の議論はいまだ不明な点が多い)
ダイオキシン類の毒性が大きく叫ばれた結果、落ち葉で焼き芋が作れなくなった。学校の焼却炉も消えてしまった。感受性の高いモルモットの毒性をヒトに当てはめれば間違いが生じる。太古から火を扱いダイオキシン類に被爆していたヒトには当然のごとくモルモットより毒性が低いのだろう。
「毒にも薬にもなる」と言う言葉は味わい深い言葉である。「植物の毒から薬が生まれた」「薬には副作用があり毒にもなるから注意せよ」との意味であろうが、もう一つの私の解釈では「毒を体に取り込んでいれば進化し、毒に強い体となり結果として薬になる」とも言えるのではないか。毒を除去し全く遮断することは進化か退化かどちらだろうか?清潔好きな現代社会で毒を過剰反応的に排除することが正しい事なのだろうか?文化的な進歩がヒトの退化に通じているのではないか。我々ヒトは確実にシロアリ化に向かっている。そんな心配が頭をよぎる。杞憂であってほしいものだ。