院長コラム
阪大整形外科同窓会ニュース巻頭言
「最適に生きていますか?」 医療法人慈孝会前中整形外科クリニック 前中孝文 (昭和62年入局) 最適な選択、最適な行動は、いかなる範囲まで条件、情報を広げて思慮するかにより変貌する。自身の回りだけの「最適」から少し視野を広げて検討すれば「最適」は自ずと異なるものになる。 ○寝屋川の中学生が殺害されたニュースをテレビが繰り返し報道している。周りの大人が少しお節介となり、夜間うろつく子供に「夜中だ!早く家へかえれ!」と叱れば悲劇は避けられただろう。学校でのいじめも勇気あるクラスメートが続々と立ち上がり恥ずべき行為を糾弾すれば自殺はなくなるだろう。「保身のための見て見ない振り」を消し去ることだ。 ○「再診、夜間早朝等加算」をご存じだろうか? 基準に適合した診療所で午後6時以降の再診料に50点(500円)の加算がつく制度である。夜間診が多い関西の診療所にとって有り難い制度だが、夜間に受診すると高くなるので、午後6時前までに患者が集中することになる。自分の懐だけを考えればそれが最適な行動だが、それでは夜間の診療所が消えていく。遅くまで診療する施設を応援する協力金だと理解すれば違う行動となろう。 ○昔は、近所の電気屋で電気製品を良く買ったが、安売りのスーパー、量販店が出来、値段につられて町の商店街へは行かなくなった。一人暮らしの老人は、親切な電気屋が消え蛍光灯交換もできない。魚屋も豆腐屋も八百屋も同様である。安さだけを求めたことで、地域社会が衰退する結果となった。将来、ネット販売が増えれば、勝ち組の量販店も近々消滅する運命だろう。 ○以前聞いた話だが、インドのホテルには従業員が多く、作業部門ごとにたくさんの人が働いている。「無駄じゃないか」と訊いた時、仕事にあふれる人を無くするため多くの人を雇っているとの事である。ホテルの利益だけを考えればこんな経営にはならない。 ○最近まで日本企業も終身雇用制で、結構、余剰(無駄?)な人もいた。社内教育、社会福祉的役割も会社が国家に代わって果たしていた。今は無駄な人は消え、会社の内部留保金のみが膨れ上がった。市場原理主義下で自社だけの「最適」を求めればそれも当然である。 ○この国の過去を振り返れば、現代と全く様相の異なる時代もあった。150年前に明治維新を起こした志士たちは命を賭して西洋列強からの侵略を防いだ。70年前には特攻攻撃を行った若者もいた、彼らの最適値の算出範囲は我々と全くかけ離れている。 ○環境によって孤独相から群生相に変化し災害を起こすバッタが存在する。★1)人間もバッタの様に外的環境の変化が影響し相変異するのだろうか。 最適値の算出範囲が激変し、歴史上の暴動、革命、戦争が引き起こされるのかもしれない。平和な現代は孤独相(自分だけを重視する)を形成していると言える。歴史のサイクルから今後も社会が群生相に相変異する可能性はゼロではないだろう。それ故、群生相による 蝗害(こうがい、英: Locust plague)★2)=社会騒乱に絶えず備えなければならない。同時に一見平和な現代社会の孤独相に潜む病理を解決する努力も必要となる。 いかなる相変異が生じても、「その状況下の適切な範囲で最適化を考える」「広範な情報を基に行動する」「自らの最適化が本当に間違っていないか見直す謙虚な態度」が大切であると思う。それがバッタより知恵のある人間の理性と言えるだろう。 (参照)出典 ウィキペディア ★1) バッタは蝗害を起こす前に、普段の「孤独相」と呼ばれる体から、「群生相」と呼ばれる移動に適した体に変化する。これを相変異と呼ぶ。 サバクトビバッタの幼虫。高密度の集団中で世代交代を繰り返すと群生相の個体が生まれてくる。 (上)孤独相(下)群生相 ★2) 蝗害(こうがい、英: Locust plague)は、トノサマバッタなど相変異を起こす一部のバッタ類の大量発生による災害のこと。蝗害を起こすバッタを「飛蝗」「トビバッタ」「ワタリバッタ」(英語では「locust」)という。 |