院長コラム
新春雑感
テレビドラマで人気となっている「坂の上の雲」の有名な冒頭の一文「まことに小さな国が開化期をむかえようとしている」がまさに 「まことに大きな国が衰退をむかえようとしている」と変わろうとする今のご時勢である。 明治の貧しい(たかだか三千万人余り、現在の3分の一以下の少数である)人々から見れば平成の世の我々は雲上人であり、贅沢三昧の眩しい存在であろう。 しかし、我々は、いつも何か閉塞感に囚われ不幸を感じている。年間3万に以上の自殺者を出し、飯ではない何かに飢えている。 一方、明治の人々にとって、西洋列強に追いつく山に登る途上は苦しい、つらい時間の連続であったろう。が同時に、彼らには坂を上るたび刻々と見晴らしがよくなる気分爽快な景色が心を癒し、一歩一歩の達成感があったであろう。 頂上を目指す目的感に満たされている。彼らには坂道に足を滑らす者に手を差し伸べる友愛があり,苦労人同士の連帯感があったであろう。 平成の我々にも、阪神大震災の折、多くのボランテイアが全国から馳せ参じたこと、暴動も混乱もなく、略奪もなく、炊き出し、配給に整然と列する被災者の度量の大きい姿があったことを思い出す。 日本人はすばらしいではないか。一旦逆境に陥ったときの団結力、その紳士たる態度を我々は誇ってよい。 今の状況を何ら悲観することはない。気の持ち方である。経済的に雲の上に達した。しかしここが頂点ではない。まだまだ先に上るべき坂が控えているのである。 精神性の坂がある、道徳の坂があることを忘れてはならない。 自らがよければ良しとし、他を無視していないか?国民としての義務を果たしていないのではないか?政治を人任せ、政党任せにし、自ら参画していないのではないか?選挙に行ったか?意見を具申したか?主張があればデモをしてでも訴えるエネルギーがあるか?他国の逆境にある人、助けを求める人に力を与えているか? 胸に手を当てよく考えていただきたい。神戸の地で人々が示した底力がある限り、我々には必ず出来ると私は信じる。 21世紀はこの新しい「道徳、博愛という坂」の上の雲に向かって上り続けなければならない。 これこそが明治維新に匹敵する我々の平成維新であると私は考えている。この坂の上の雲に上り詰めれば、世界に冠たる国、世界から尊敬される日本になるであろう。 |